方法論的な欠陥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:56 UTC 版)
ミラーテストの結果の解釈については論争の的になっており、ある調査において、研究者は、ミラーテストを幼い子供の自己認識を観測する手段として用いる事は、何らかの問題があるのではないかと指摘している。 ある子供が自己認知をできたとしても、顔の汚れを取ろうとする動機が小さければ、マークに触ったりする行動を見せないはずであり、そういう場合は、誤った結論を出してしまう事になるだろうと、この調査は指摘している。そして、普通のルージュテストの結果と改変版のルージュテストの結果を比較した。 古典的なルージュテストでは、まず最初に実験者が子供と遊び、少なくとも3回は子供が鏡を見た事を確認する。そして子供の右目の下にルージュで点が描かれる。改変版のルージュテストでは、実験者は、目の下部にルージュで点が描いてある人形を用意して、子供にそれを綺麗にするように頼んだ。実験者が子供に人形を綺麗にするように頼むのは3回までで、それ以後は、実験者自身がそれをした。そして、人形は片付けられ、ルージュで印を子供の顔に付け、ミラーテストが行われる。このように改変する事で、自己認知を示す子供が増加するという結果につながった。 この研究が発見した調査結果に基づくと、古典的ミラーテストには問題があると指摘できる。問題点として、まずは、子供がルージュの印を異常と認めて、それを調べるなり取り除こうとするだろうという前提を取っている事が挙げられる。子供がルージュを認知する事は、必ずしもそれに触れる事にはつながらないので、古典的ミラーテストは、偽陰性の結果を出していたかもしれない。人形の顔を綺麗にする手順を付加した改変版のミラーテストにおいて、研究者達は、人形の顔を拭く事と、子供が自分の顔を拭く事の間に、強い関連性がある事を見つけた。人形を用いた実演は、子供に何をすべきかを示す事を狙いとしており、それによって、より確実に自己認知の有無を確かめる事ができるだろう。 より一般的な事を言えば、鏡像を認知する事が自己認識(self-awareness)を意味するかどうかについては結論は出ていない[要出典]。そして、これの逆の形、つまり、自己認識が鏡像認知を意味するという見解も、正しいとは限らない。というのは、自己認識しているかも知れないが、ミラーテストでは肯定的結果が出ないという場合もあり得るからである。
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