新義真言宗寺院への改宗とは? わかりやすく解説

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新義真言宗寺院への改宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 13:27 UTC 版)

勝願寺 (鴻巣市登戸)」の記事における「新義真言宗寺院への改宗」の解説

新編武蔵風土記稿によればこうした状況徳川幕府第2代将軍徳川秀忠の知るところとなり、秀忠から寺領十石寄進され再興された。この時、居宅滞在していた円慶が新義真言宗の僧であったことから、宗門改められそのまま箕田龍珠院(後の龍昌寺)の末として属することになった記されている。 一方貞享2年1685年)に第5代将軍徳川綱吉によって発給された『登戸勝願寺朱印状によれば第3代将徳川家光によって慶安元年1648年8月17日付け最初朱印状発給されたと記されており、元禄15年1702年3月の『登戸勝願寺明細書によれば家光公 慶安元御朱印 高石 寺門前三軒有之」と記されている。 また、鴻巣市史』によれば当寺龍珠院末寺昇格は、元禄16年1703年)に箕田満願寺取次ぎ経て願書提出され後のことだとしている。宝永元年1704年)に末寺昇格求め龍珠院門徒末寺34か寺の願書江戸四箇寺に提出され同年11月末寺昇格公認された。公認に際して勝願寺から龍珠院に対して祠堂金名目で金25両が上納され、龍珠院から法流伝授されるなどして様式整えられた。なお、『元禄15年龍珠院配下寺院明細書によれば新義真言宗改宗し龍珠院門徒となったも本堂に阿弥陀如来道場不動明王といったように二つ本尊安置されていたといい、こうした事例は、かつて浄土宗寺院であったことを反映したものと推測される境内には延享2年1745年)に建立され本堂正確な建立年次不明山門南北朝時代建立され六地蔵板碑がある。

※この「新義真言宗寺院への改宗」の解説は、「勝願寺 (鴻巣市登戸)」の解説の一部です。
「新義真言宗寺院への改宗」を含む「勝願寺 (鴻巣市登戸)」の記事については、「勝願寺 (鴻巣市登戸)」の概要を参照ください。

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