新聖堂の建築
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1924年、初の在華教皇使節であるチェルソ・コスタンティーニ(中: 剛恒毅)大司教は上海で全国中国司教会議を開催し、6月12日は会議の閉幕日であったが、全国の中国司教を率いて中国を聖母に奉献する厳粛な典礼を挙行した。次の日も15名の司教を率いて佘山に赴き、再度中国を聖母に奉献した。 中国第1回天主教公会議の推進を受け、1925年4月24日、佘山山頂の大聖堂を取り壊して立て直しを始め、ポルトガル人神父の葉肇昌が設計と施工の責任を負い、姚宗李司教は基礎となる場所を祝福した。建築期間は十年もの長さにも及び、1935年11月16日にやっと峻工して、当時の司教であった恵済良が祝別ミサを主司式した。葉肇昌は工程管理に非常に厳格で、杭を岩石上に打っても施工時に規定と符合しなければ工事の手直しを求め、積み上げも決まった品質で決まった量であり、それと合わなければ倒して再度積み重ねるようにした。
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