新生カンガルーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:46 UTC 版)
「ファビュラス・カンガルーズ」の記事における「新生カンガルーズ」の解説
1981年、プエルトリコにてケントが再びオーストラリア人のギミックを用い、ニュージーランド出身のブルーノ・ベッカーをパートナーに新バージョンのファビュラス・カンガルーズを結成。マネージャーはコステロが務め、10月22日にジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコを破りWWC北米タッグ王座を獲得した。ベッカーの脱退後は、カナダ人のボブ・ダラセーラがジョニー・ヘファーナンと名乗り、ロイ・ヘファーナンの甥と称して新たに加入。1982年5月1日にザ・ファンクスからWWC世界タッグ王座を、8月14日にはトミー・ギルバート&エディ・ギルバートからWWC北米タッグ王座をそれぞれ奪取している。 その後はフロリダ地区に参戦し、1983年1月5日にバリー・ウインダム&ロン・バスを破ってNWAグローバル・タッグ王座を獲得。以降、スコット・マギー&テリー・アレンを相手に同王座を争い、同年4月にかけて通算4回戴冠した。フロリダでは、ルーファス・ジョーンズ&ブラッド・アームストロングやロディ・パイパー&マイク・グラハムなどのチームとも対戦している。以後、コステロがマネージメント権をJ・J・ディロンに譲渡したという設定のもと引退。ほどなくして新生カンガルーズも解散し、ケントはプエルトリコへ転戦後、1986年に現役を離れた。
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