新保守主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:02 UTC 版)
「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「新保守主義」の解説
1970年代には多くのリベラル派知識人が右派に転向する動きがあり、その多くはニューヨーク市のユダヤ系アメリカ人や地位が確立された学術人だった。彼らはリベラリズムに幻滅するようになり、特にソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)に関わる外交政策に対して幻滅していた。 アーヴィング・クリストルとレオ・シュトラウスがこの動きを始めた者達だった。雑誌「コメンタリー」や「パブリック・インタレスト」が彼らの発言媒体であり、主要新聞の論説記事やシンクタンクの政策方針書も使われた。民主党上院議員ヘンリー・M・ジャクソン周辺の活動家も深く関わった。著名な発言者としては、ガートルード・ヒンメルファーブ、ウィリアム・クリストル、ポール・ウォルフォウィッツ、ルイス・リビー、ノーマン・ポドレツ、リチャード・パイプス、チャールズ・クラウトハマー、リチャード・パール、ロバート・ケーガン、エリオット・エイブラムス、ベン・ワッテンバーグがいた。一方上院議員ダニエル・パトリック・モイニハンはかなり同調的だったが、民主党に留まった。シュトラウスの新保守主義に影響を受けた者としては、最高裁判所判事の候補者になったロバート・ボーク、国防副長官になったポール・ウォルフォウィッツ、国務次官補になったアラン・キーズ、教育長官になったウィリアム・ジョン・ベネット、「ウィークリー・スタンダード」編集者ウィリアム・クリストル、政治哲学者アラン・ブルーム、著作家ジョン・ポドレツ、カレッジの学長ジョン・アグレスト、政治学者ハリー・V・ジャファおよび小説家のソール・ベローがいた。 新保守主義は概して事業寄りの政策を支持した。幾人かはレーガン、ブッシュ父、およびブッシュ息子の政権で政策立案や補佐官の職に就いた。
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