新会社設立へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:51 UTC 版)
このような経緯により、公的一元化構想は挫折したものの、民間ベースでの一元化構想へ議論が進みつつあった1974年7月、県南バスが会社更生法の適用を申請した。同年10月には花巻バスも更生法適用を申請している。しかし、従業員側は更生法適用申請の撤回を求めてストライキを通告、さらに県南バスの経営陣が盛岡地方裁判所(盛岡地裁)の定めた管財人に難色を示して自力再建を希望し、一方で一元化による再建にも着手しているなど、会社側に誠意が見られないとして、盛岡地裁では1974年10月に県南バスの申請を棄却した。県南バスではこれを受けて仙台高等裁判所(仙台高裁)に即時抗告、管財人は競争関係にあるものを避けるとともに、一元化は負債の整理をした上で実施するのが望ましいと主張した。仙台高裁はこの主張を認め、12月に盛岡地裁への差し戻しを行なっている。 中央バスでは一元化を見据えて、1974年11月30日に新会社として「岩手興業」を設立し、岩手中央バスの事業を移管した翌日に新会社として「岩手中央バス」を設立し再度事業を移管、中央バスとしては負債のない状態にした。この時点で、岩手中央バスは国際興業からの役員出向は残ったものの、国際興業傘下からは外れている。 結局、従来の再建策はすでに限界であることから、最終的に県南バス・中央バス・花巻バスの3社が新会社を設立した上で、3社の事業を新会社に譲渡する方針がまとまった。最後の手段であることから従業員側も理解を示して目立った闘争を抑えることになり、県も一元化に対しては推進する方向性を示した。1976年5月に新会社設立が認可されたことに伴い、県南バスと花巻バスは更生法適用の申請を取り下げた。 こうして、岩手県交通と命名された新会社は、負債ゼロの状態から再出発することになった。
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