新ゲイ雑誌『Badi』創刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:24 UTC 版)
「マーガレット (ドラァグクイーン)」の記事における「新ゲイ雑誌『Badi』創刊」の解説
1990年代の日本ではテレビドラマ『同窓会』が放送されるなど、ゲイブームが起こった。当時、広告料の収入で毎月1,800万円に加えて、雑誌自体の売上で毎月750万円、合計で毎月2,550万円が入ってくるゲイ雑誌の市場を独占していたのが、異性愛者である伊藤文學が編集長を務めていた『薔薇族』だった。この状況をよしとしなかったのが、ゲイ雑貨店「ルミエール」の経営者であった同性愛者の平井孝であった。平井はゲイ自身の手で運営される媒体事業の立ち上げを志し、「薔薇族に広告を出す側」だった当時のゲイビデオ制作会社やゲイ雑貨店の13社と連携して、『薔薇族』と同様の事業構造で新しいゲイ雑誌『Badi』を創刊した。当時、マーガレットは宝島社の雑誌『CUTiE』で美容関連の連載を持っており、ドラァグクイーンとしても活動していた。その活躍ぶりを見て、平井がマーガレットに声をかけ、創刊直前の『Badi』編集部へと招き入れた。当初は軽い気持ちで編集会議に参加したマーガレットだったが、編集長として招かれていた人物は編集部員をまとめる力量に欠けており、すぐに職を辞してしまった。平井が後任にマーガレットを指名したところ、マーガレットは「編集長」ではなく、あくまでも「編集長代行(スーパーバイザー)」ならば引き受けてもよいと答え、『Badi』の創刊(1993年)とその後の編集に辣腕を発揮することとなる。
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