文匯報 (上海)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 17:10 UTC 版)
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種別 | 日刊 |
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判型 | ブランケット判 |
所有者 | 上海報業集団 |
設立者 | 厳宝礼 |
発行者 | 文匯報社 |
編集長 | 黄強 |
設立 | 1938年1月25日 |
言語 | 中国語(簡体字) |
本社所在地 | ![]() |
ウェブサイト | wenhui.news365.com.cn |
文匯報(ぶんわいほう、簡体字: 文汇报、拼音: )は上海市の文匯新民報業集団が発行する新聞である。
歴史
上海の「文匯報」は、1938年1月25日に創刊し、日中戦争時には抗日を宣伝し、1939年には汪兆銘政権から停刊を余儀なくされた。
戦後、1945年9月に復刊し、後に国共内戦に反対したことにより国民政府が不満を持ち、上海の「文匯報」は、1947年5月24日に再度停刊を命じられたが、中国共産党が上海を占領すると、1949年6月21日に再度復刊した。
社論と文章
1965年11月10日、姚文元の論文「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を掲載し、呉晗の「海瑞罷官」を厳しく批判し、文化大革命の幕開けを演出した[1]。
1976年3月5日、雷鋒を記念して報道し、周恩来の激励の言葉を漏らしてしまった。南京市の学生と労働者がまず3月5日の報道を暴露し、25日に前後して新聞紙上で周恩来の激励の言葉を削除し、後の四五天安門事件に発展した。
参考文献
- ^ 五一六通知:正式掀起文革狂潮 Archived 2007年9月29日, at the Wayback Machine.
外部リンク
「文匯報 (上海)」の例文・使い方・用例・文例
- 1997年にサントリーがシャンハイ(上海)でペットボトル入りウーロン茶を売り出したとき,中国では「ペットボトル入りのお茶」はまだ普及しておらず,また,その地域ではウーロン茶はあまり飲まれていなかった。
- 20世紀初頭のシャンハイ(上海)は,西洋と東洋が混じり合った文化を持つ都市だ。
- この鉄道はペキン(北京)とシャンハイ(上海)の間を走ることとなり,2008年のペキン五輪に向けて建設される。
- 例えばシャンハイ(上海)では,近年,経済が劇的に成長した。
- すでに,日本産のリンゴとナシはシャンハイ(上海)のデパートの試験的販売でよく売れている。
- 最初は,このサービスは,全日空の成田―シャンハイ(上海)間の航路でのみ提供されるが,すぐに米国や欧州の航路でも提供されるようになる。
- シャンハイ(上海)での生活の楽しみの1つは,屋台で朝ごはんを食べることです。
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