文化・福祉活動
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宣仁親王はスポーツ、国際親善交流、厚生、美術工芸など、多岐にわたる活動を行った。中でもよく知られるのは競馬の「高松宮杯」(現・「高松宮記念」)で、病に倒れるまで同レースは毎年観戦し、自ら優勝杯の授与も行っていた。 「済生会」などの総裁を務め、社会活動にも貢献した。なお赤い羽根を渡すアメリカの慈善福祉の慣習を、赤い羽根共同募金として日本に導入したのは宣仁親王だとされる。これは、社会事業共同募金中央委員会の総裁として、鶏を屠殺する際にでる羽を、「赤心」(≒真心)に例え、赤く染めて募金のシンボルにすることを提案したことに由来する。 1947年には、皇族として初めてハンセン病患者を収容していた国立療養所(国立療養所栗生楽泉園)を訪問した。 また戦後は日米親善活動の一環で、「国際基督教大学」(ICU)の「設立準備委員会名誉総裁」を務めたりもした。 ゴルフ・スキー好きでも知られ、暖かい季節は夫妻で再三各地のゴルフ場を訪れてプレーを楽しみ、雪の季節になればよく雪山でスキーを楽しんでいた。 また夏になると高輪の邸宅のプールを、近所の子供のため開放していたことでも知られる。
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