文体論的選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 20:16 UTC 版)
冗語は意味に外部的な目的を与えることもできる。たとえば、簡潔すぎる話者はしばしばゆとりや優雅さに欠けていると言われる。理由は、身振り手振りのついた話し言葉の中では、文章は校訂を必要とせず自然発生的に作られ、それがゆとりや優雅さを生むからである。しかし、そのことが多くの重言を生む。一方、書き言葉では、必要がない語は取り外すことができるが、それにより慣用的な表現が崩れた時は、堅苦しいぎこちないものになることもある。 なんらかの文学的あるいは修辞学的効果のために冗語が使われることもあるが、使いすぎると内容を弱めることになる。理由は、多すぎる言葉が概念から注意を逸らせるからである。逆に、考えや意図を隠したい作者は冗長さでそれを曖昧にすることもできる。ウィリアム・ストランク・Jr(William Strunk, Jr.)は『The Elements of Style』(1918年)の中で文体の簡潔性を次のように述べた。「力強い文書は簡潔である。絵が不必要な線を、機械が不必要な部品を含んではならないのと同じ理由で、文は不必要な語を、節は不必要な文を含んではならない。ここで求められるのは、作者はすべての文を短くすべきでも、テーマは概要の中でのみ扱い詳細は避けようもなく、どの語も語られるべしということである」。バロック、マニエリスム、ヴィクトリア朝の文献にも同じような意見が見つかる。
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