敦實親王とは? わかりやすく解説

あつみ‐しんのう〔‐シンワウ〕【敦実親王】

読み方:あつみしんのう

[893〜967]宇多天皇の第8皇子宇多源氏の祖。法名覚真和歌音楽など諸芸通じた仁和寺宮(にんなじのみや)。


敦実親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 22:36 UTC 版)

敦実親王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 寛平5年(893年
薨去 康保4年3月2日967年4月14日
改名 覚真(法名)
別名 六条宮
官位 一品式部卿
父母 父:宇多天皇、母:藤原胤子
兄弟 醍醐天皇斉中親王斉世親王敦慶親王敦固親王、斉邦親王、均子内親王柔子内親王君子内親王、載明親王、敦実親王、孚子内親王、成子内親王、依子内親王、行中親王、誨子内親王、季子内親王、雅明親王、行明親王、源順子
藤原時平の娘
源寛信、寛朝源雅信源重信雅慶
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敦実親王(あつみしんのう)は、宇多天皇の第八皇子[1]。母は皇太后藤原胤子で、醍醐天皇の同母弟。官位一品式部卿六条宮を称した。

経歴

延喜7年(907年)、宇多院にて元服し、親王宣下を受けて三品に叙せられる[2]。のち、上野太守中務卿・式部卿を歴任し、一品に叙せられた。

天暦4年(950年)に出家して法名を覚真と称し、仁和寺に住した。康保4年(967年)3月2日に享年75で薨去した[3]

人物

早世が多かった宇多天皇の皇子では唯一長命を保ち、内外から重んじられた存在であった。坂家宝剣を自ら肌身離さず持っていた。

和歌・管弦・蹴鞠など諸芸に通じた才人であったが、とりわけ音曲に優れ源家音曲の祖とされる。藤原忠房が作曲した舞楽曲の胡蝶や延喜楽に振り付けを加えるなど[4]、日本の音楽史上重要な人物である。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品が1首採録されている[5]

系譜

その他

一説に、歌人で琵琶の名手・蝉丸雑色として仕えたといわれる。

脚注

  1. ^ 上田正昭津田秀夫永原慶二藤井松一藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 41頁。
  2. ^ 『扶桑略記』延喜7年11月22日条
  3. ^ 『日本紀略』康保4年3月2日条
  4. ^ 『礼源抄』
  5. ^ 『勅撰作者部類』



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