救命処置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 09:52 UTC 版)
「東條英機自殺未遂事件」の記事における「救命処置」の解説
銃弾は心臓の近くを撃ち抜いていたが、急所は外れている様子だった。 4時45分、クラウス少佐は総司令部への報告とアメリカ人医師と傷病人搬送者を手配のために東條邸を離れた。4時50分ごろ、隣家の日本人医師が呼ばれた。5時15分、現れた日本人医師は「(治療しても)2時間はもつまい」といって積極的な治療を行わず傷口を包帯で押えることしかしなかった。自決から約2時間後、アメリカ人医師団が到着。軍医のジョンソン大尉らは応急処置として血漿を注射し傷口をふさいだ上で、東條を傷病人運搬車に乗せて第1師団の病院に運び、ここでも血漿注射が行われた。7時20分、東條はさらに横浜市本牧の大鳥国民学校(現・横浜市立大鳥小学校)に設置された野戦病院に搬送され9時40分に到着し、ただちに手術室に運ばれた。この第98エバキュエーション・ホスピタルはこの時日本で唯一のアメリカ軍病院だった。 東條を「殉教者にしてはならない」と侵略戦争の首謀者として断罪することを決めていたマッカーサーの指示の下、東條にはアメリカ軍による最善を尽くした手術と看護を施され、奇跡的に九死に一生を得る。
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