故国へ帰還とは? わかりやすく解説

故国へ帰還

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:33 UTC 版)

慕容翰」の記事における「故国へ帰還」の解説

宇文部首領宇文逸豆帰一度慕容翰快く迎え入れたものの、次第にその才名を妬むようになっていった身の危険感じた慕容翰狂人真似をして髪を掻き乱して歌を歌ったり、跪いて物を食べたりし、その警戒解こうとした。これにより宇文部では国中の人が彼を賤しむようになり、まともに相手にする者さえいなくなった。そうして誰も慕容翰動向注意を払わなくなると、慕容翰密かにあちこち国内巡り山川の地形調べてはその全て暗記するという事繰り返したという。 慕容翰はもともと慕容皝対して造反したわけではなく疑われることを嫌って国を出奔しただけであり、また他国亡命してからも何かと前燕為に便宜図っていたので、慕容皝もまた次第彼のことを気にかけるようになっていた。 340年1月慕容皝商人の王車を間者として宇文部派遣し慕容翰様子を探らせた。慕容翰は王車と市場出会ったが、ただ無言で胸を撫でて頷くのみであった。王車が国へ戻ってこの事を報告すると、慕容皝は「彼は故郷へ帰りたいのだ」と喜んだ。そして慕容翰がいつも使っている、三石重さがある弓と普通より長く大きな矢を作らせると、これを王車に持たせて再び慕容翰の下へ派遣した。王車はこの弓を道の傍ら埋め慕容翰向けて慕容皝意向密かに伝えた。これにより慕容翰故郷へ帰還決意した2月慕容翰宇文逸豆帰名馬を盗むと、二人の子供を連れて弓矢取って逃亡図った。これを知った宇文逸豆帰配下精鋭百騎余りにこれを追跡させたが、慕容翰は彼らへ「我は長い間故国帰る事を望んでいたが、今その為の名馬を得ることができた。もはや再び戻ることは無い。我は日頃汝ら欺くために狂った振りをしていたが、我が腕は衰えていない。これ以上近づくと自ら死に向かうことになろう!」と忠告した。だが、騎兵部隊は彼を軽んじて追撃続けたので、慕容翰は「我は久しく汝らの国に世話になった汝らを殺すのは忍びない我から百歩離れた所に刀を立てるのだ。それを我が射てみせよう一発当たったならば汝ら帰るのだ。当たらなければ進んでくるが良い」と告げた。そこで、騎兵部隊はこれに応じて刀を立てると、慕容翰は矢を放って一発で刀の環に当てたので、これを見て騎兵部隊逃げ散ったという。 こうして慕容翰無事故郷に帰還を果たすと、慕容皝はその到来大い喜んで迎え入れ以来彼を厚く恩遇するようになった。やがて慕容翰は建威将軍任じられた。

※この「故国へ帰還」の解説は、「慕容翰」の解説の一部です。
「故国へ帰還」を含む「慕容翰」の記事については、「慕容翰」の概要を参照ください。

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