政府樹立と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 20:24 UTC 版)
1948年、大韓民国の政府樹立とともに白衣社は急激に衰退の道を辿り、 何人かの団員を除き、あちこちに散らばった。 一方、 シーリー報告書は、安斗煕が白衣社の団員であり、廉東振を金九暗殺の黒幕と名指ししているが、白衣社の団員たちはどのような関連性もないと強く否定した。白衣社の団員であり、ペク・グァンオクの兄弟のペク・チャンオクは金九の暗殺の一報を聞くと激怒したという。金九の秘書を務めた鮮于鎭もまた関連がないと言った。 金九の研究をした都珍淳教授は、廉東振は金九に対して敵対的と言うよりは相互依存的であり、廉東振が安斗煕に金九暗殺を指示したという言及は文書のどこにもなく、明白な誤報であると反論した。実際、仮にそうだとしても当時の状況上、廉東振が指示したという可能性は全くない。 徐々に統合失調症となり、1950年朝鮮戦争勃発後、避難することを拒否し、ソウルに残っていたが、朝鮮人民軍に交わらず、生死は不明である。
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