放送開始後の反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 04:50 UTC 版)
「もっと回数を増やして」という聴取者からの投書がNHKに殺到したため、1948年(昭和23年)の4月からは週2回から週5回へと放送回数を増やし、児童たちが放送のたびに放送会館へ通うのも不可能になったために、録音放送へと変更した。CIEはNHKに対して、当時最新であった連続15分の録音を可能とする録音機を提供したが、それはまだNHKが所有していない機材であった。連日放送により、さらに人気が高まった。 放送番組世論調査(日本放送協会編「ラジオ年鑑」25年度版)によると、90%近い人が「鐘の鳴る丘のラジオ放送を聞いたことがある」と答えている。1950年(昭和25年)時点でも「今でも毎日聞いている」が25%、「今でもときどき聞いている」が51%という高い数字を示している。テレビ放送はまだなく、NHKラジオを聴くことが家庭での最大の娯楽だった時代のことだ。 一方で、作品には「ぶっ殺してやる」「ばかやろう」といったセリフが多くあったために、一部の保護者や教育者からは「言葉づかいがひどすぎる」「教育上許せない番組だ」と評され、教育論争も起こった。しかし、幼少時に肉親に捨てられた過去を持つ菊田は、自分もそのような過去を持つからこそ「人生のすみっこで、だれからも話しかけてもらえないような子どもたち」に語りかけられるのだと、批判にも動じることはなかった。
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