支払い猶予とその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 23:51 UTC 版)
1930年11月6日、銀行は突如支払い猶予(モラトリアム)を発表した。背景には、アメリカ発の大恐慌により深化する不景気で、長野県下でも蚕糸業が不振となり、農村恐慌にまで発展していた事情があった。信濃銀行には、6万人の預金者と3000万円以上の預金高があったので、県民の暮らしや経済に与えた影響は大きく深刻だった。信濃銀行に預金のあった産業組合も大打撃を受け、長野県会は1931年3月に臨時会を開き、特別融資に対して県が利子補給をしたり、低利資金の借入れに保証をつけるなどの対策を講じた。信濃銀行の支払い猶予が長期化すると、県内の他の金融機関までもが不信の対象となって取り付け騒ぎが起こり、1931年末までには県内の14の銀行が休業状態に陥ってしまった。信濃銀行は、預金者に元金を分割償還することを決めたが、経営を続けることはできずに没落した。 六十三銀行と第十九銀行も、恐慌と不景気の中で信濃銀行破綻の影響を受けたが、1931年6月10日に合併して八十二銀行を発足させると、その後は同行が長野県最大の銀行として比重を増していくようになった。
※この「支払い猶予とその影響」の解説は、「信濃銀行」の解説の一部です。
「支払い猶予とその影響」を含む「信濃銀行」の記事については、「信濃銀行」の概要を参照ください。
- 支払い猶予とその影響のページへのリンク