手本を写す教育「臨画」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:28 UTC 版)
「キミ子方式」の記事における「手本を写す教育「臨画」」の解説
1871年(明治4年)年に文部省が、小学校に「罫画」、中学校に「画学」として設置したのが美術教科の始まりである。「罫画」の内容は「物の形の正確な描写の訓練」に終始し、鉛筆を用い手本にならって幾何学的基本形体をもっぱら模写、すなわち臨写することにあった。最初は西洋の描き方の本を翻訳したものであったが、1878年(明治11年)の宮本三平著による『小学普通画学本』で日本的な画題になった。その後、文部省は日本の風景・人物を1ページに1つの画を入れた教科書を発行し、お手本を鉛筆で模写する「臨画」が教えられた。尋常小学校で図画教育が実施されるようになったのは1907年(明治40年)以降だった。1910年(明治43年)発行の『尋常小学新定画帖』は20年ほど使われ、大きな影響を与えた。それは「目と手の訓練的要素」の強い教科書だった。
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