房総平氏の三分化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 13:56 UTC 版)
この様に房総平氏は勢力を拡大したが、決して一枚岩とは言えず、主に次の三つの勢力に分散された。 最初に挙げられるのは藤原親政に服属した勢力である。この勢力は主に常房流の金原・粟飯原・原氏が中枢を成しており、土地柄の近縁から服属したとされる。他にも、伊西常景を倒して上総氏の当主の座を奪った印東常茂や海上氏も居た。彼等は親政に近付くことに拠って、房総半島に勢力を伸ばそうとしたのである。尚、親政は平家と姻戚関係を結んでいたから、それを介して最も平家と近い立場にあった。 次の勢力は上総氏の介八郎広常を中心とする勢力である。印東常茂が上総氏の当主を暴力的に奪取した行為に不満を持つ者は多く、彼等は弟の広常の許に結集したのである。その内訳は、広常の兄弟・甥は言うまでもなく、千葉氏に近い大須賀氏や白井・臼井氏等も含まれていたそうで、三勢力の中で最大の規模を誇る。 最後に挙げられるのは、千葉常胤を中心とする勢力である。これは主に、常胤の息子・孫を中心とし、三勢力の中で最も小さかったが、源頼朝の信頼が最も深かった。 三分化された房総平氏の諸氏は互いに凌ぎ合いながらも運命の源平合戦の時を迎えるのである。
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