房総平氏と源平合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 13:56 UTC 版)
1180年に頼朝が挙兵すると、広常・常胤はこれに味方し、親政はこれを討とうとした。そして親政は千葉荘に攻め入ったが、この時、前述の金原・粟飯原・原の諸氏は親政に従事している。これに対し、広常・常胤は一族を率いてこれを迎え撃ち、その結果、房総平氏同士の戦いの幕が切って落とされた。戦の経過は千葉氏が執筆した『源平闘諍録』に詳しく記されており、結果は、親政は捕縛され、粟飯原元常、原常直は討ち死にすることで終わった。 広常はその後、富士川の戦いにて平家に味方した兄の常茂を討ち果たして名実と共に房総平氏の当主となったのである。
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