戦後の音楽活動・バッハ『ヴァイオリン二重協奏曲ニ短調』、ヴィバルディ『ヴァイオリン三重協奏曲』の日本初演
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終戦直後、文化懇話会主催の下に川口恒子(ピアニスト、金沢大学助教授、後に教授・名誉教授)とジョイント・リサイタルを金沢市で開き、戦後の音楽活動のスタートを切る。1951年(昭和26年)には、同門(フライ門下)の多久興(東京芸大弦楽部長)、岡田任一郎(N響ヴァイオリン奏者)、ピアニストの大田節子の賛助出演を得て、金沢市公会堂で「篠原虎一 リサイタル」を開催した。曲目は、日本初演となるバッハ『ヴァイオリン二重協奏曲ニ短調』、ヴィヴァルディ『ヴァイオリン三重協奏曲』であった。楽譜は当時、日本にはなく、フランス大使夫人から借りたものだった。
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