慶安御前試合伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 03:31 UTC 版)
兄・利方の子孫である尾張柳生家には、慶安4年(1651年)4月6日に厳包と利方が家光の御前で剣術を披露した際、厳包とその従弟である柳生宗冬が木刀による試合を行い、厳包が宗冬の右拳を砕いて勝利を収めたとする伝説が伝わっている。 ただし史料的な裏付けはなく、拳を砕かれたとされる宗冬がその8日後の4月14日に諸大名の前で剣術を披露している記録があることなどから、柳生家の資料を編纂・出版した体育学者の今村嘉雄は「江戸柳生と尾張柳生の不和が生んだ虚報」であろうとしている。尾張柳生の剣を学ぶ者の中でも試合の真偽については諸説あり、今村嘉雄は『図説日本剣豪史』で尾張柳生家の印可をうけていた者の証言として、宗冬と厳包の2人が行ったのは試合ではなく型であったという話を紹介しているほか、尾張柳生第10代当主・柳生厳周も試合の存在を認めていなかったという門弟の証言もある。
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