慶子夫人の死と自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:25 UTC 版)
1998年暮れ、癌により慶子夫人が死去。妻を亡くしてからはかつてのような気力を失っていったと言われている。最後は自らを「形骸」とし、自宅で自殺した。 1999年7月21日、鎌倉市西御門の自宅浴室で剃刀を用い、手首を切って自殺、66歳没。妻の葬儀のあとのことで、自身も脳梗塞の後遺症に悩んでいた。ライフワークであった『漱石とその時代』は、数回を残し未完に終わった。妻の闘病生活を綴った『妻と私』を残し、続く『幼年時代』も未完に終わった。 葬儀は神式。慶子夫人との間に子供はおらず、喪主は実妹が務め、石原慎太郎らが弔辞を読んだ。墓所は青山霊園。
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