情熱の陰り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:56 UTC 版)
「デイブ・コーウェンス」の記事における「情熱の陰り」の解説
1976年の優勝を頂点にセルティックスは衰退期に入り、それと比例してコーウェンスのパフォーマンスも低下した。彼のプレーに最も影響を与えたのは優勝の後に行われたポール・サイラスのトレードだった。サイラスの親友だったコーウェンスは彼の放出に酷く落胆し、28歳と選手としては一番脂が乗っている時期であるにも関わらず、試合への情熱を失ってしまったのである。1976-77シーズンは平均16.4得点13.9リバウンドと前年度を下回り(ただし、平均アシストは5.0本とキャリアハイを記録)、チームも44勝38敗と振るわず、プレーオフではジュリアス・アービング擁するフィラデルフィア・76ersの前に敗れた。オフシーズンに8連覇時代からセルティックスを支え続けたハブリチェックが引退したことで、セルティックスの衰退は決定的となり、1977-78シーズンは32勝、1978-79シーズンは29勝と勝ち星は低下の一途を辿り、プレーオフ出場も叶わなかった。コーウェンスも1977-78シーズンは平均18.6得点14.0リバウンドを記録したものの、1978-79シーズンは16.6得点9.6リバウンドと、ルーキーイヤー以来続けてきた平均ダブル・ダブルを初めて逃した。また、1978-79シーズン中にはトム・ヘインソーンの後任だったサッチ・サンダースが開幕以後2勝12敗の責任をとって辞任したことで、コーウェンスは選手兼ヘッドコーチの重責を担わされた。コーウェンスは過去にコーチ経験はなく、後に「私には手に負えないものだった」と語っている。
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