怪書の語る十三湊
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怪しき“古文書”『東日流外三郡誌』によれば、興国元年(西暦換算:1340年。南北朝時代初期)の大海嘯(大津波)によって十三湊は壊滅的被害を受け、これによって安東氏の政権は崩壊したという。しかしながら、発掘調査でこの時期における津波の痕跡は検出されておらず、また、興国2年以後も十三湊は重要な湊として数々の文献に記されている。従って同書の記述は信じるに値しない。そして何より、1993年(平成5年)に青森県古文書研究会が同書を偽書と断じており、研究者の大多数がこの結論を支持している。 『東日流外三郡誌』の記述はともかくとして、弘前大学の発掘調査により、正確な年代こそ不詳ながら、十三湊を襲った津波の痕跡であろう泥の堆積が2層以上確認されており、津波の試練を幾度も受けながら存続していったのは確かなようである。
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