性的指向・HSDDとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:21 UTC 版)
「無性愛」の記事における「性的指向・HSDDとの関係」の解説
無性愛が性的指向であるかどうかについてはかなりの議論がある。どちらも性的欲求の全般的な欠如を意味するという点において、無性愛は性的欲求低下障害(HSDD)と比較され、同一であると考えられている。HSDDは無性愛を医療化するために使用されてきたが、無性愛はその人が医療上の問題や他者と社会的に結びつく問題を抱えていると定義するものでは必ずしもないため、障害または性機能不全(無オルガスム症や冷感症など)とは一般的にみなされていない。HSDDの人々とは違って、無性愛者は通常、自分の性的な感情や性的興奮のないことについて、「感情的苦痛」や「対人的な困難」を経験していない。無性愛は、永続的特性としての性的な惹かれの欠如または不在とみなされる。ある研究では、HSDD被験者と比較して、無性愛者は性的欲求、性的経験、性に関連する苦痛および抑鬱症状が低レベルだったことが明らかになった。研究者リチャーズとバーカーは、無性愛者はアレルギー、鬱病、または人格障害の割合が不相応であると報告している。しかし、無性欲的な状態が前述の障害のいずれかによって説明できる場合でも、無性愛であると自認している人もいる。 無性愛がHSDDであるという見解については、無性愛者のコミュニティ内で議論を呼んでいる。無性愛を自認する人はふつう、性的指向として認識されることを好む。通常の性衝動があると報告しながらも自慰行為のできない無性愛者もいることから、「無性愛は性的指向である」と様々な学者が述べており、また多様な性的嗜好がある中に無性愛も含めるべきだと主張している。彼ら研究者や多くの無性愛者は、性的な惹かれの欠如は性的指向に分類するには十分妥当であると考えている。 これらの研究者は、「無性愛者は自ら選んで性的欲求を持たないのではなく、一般に思春期ごろ性的な行為の違いに気付き始めるのだ」と主張する。こうした事実が明るみに出たことで、無性愛は選択的行動などではなく、また障害のように治癒できるものでもないと断言されている。無性愛が一般的になりつつあるか否かも分析されており、実際により多くの人々が無性愛を自認するようになっている。 性的指向のカテゴリーに関しては、無性愛は、一連のカテゴリーに追加する意義のあるものではなく、むしろ性的指向やセクシュアリティの欠如であると主張されることもある。別の議論では、無性愛者が自慰したり単に恋愛パートナーを喜ばせるために性的な行為を行うことを踏まえたうえで、「無性愛は自然なセクシュアリティの否定であり、セクシュアリティへの羞恥心や不安、性的虐待によって引き起こされる障害である」と指摘されている。性的指向をめぐるアイデンティティ・ポリティクスの文脈の中で、無性愛は性的指向のアイデンティティに関する1つのカテゴリーとして実践的な政治的機能を果たす可能性がある。
※この「性的指向・HSDDとの関係」の解説は、「無性愛」の解説の一部です。
「性的指向・HSDDとの関係」を含む「無性愛」の記事については、「無性愛」の概要を参照ください。
- 性的指向・HSDDとの関係のページへのリンク