怡和軒クラブと『南洋商報』
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「陳嘉庚」の記事における「怡和軒クラブと『南洋商報』」の解説
1923年、陳はシンガポールで福建人会「怡和軒クラブ」(会員100余名)を結成して1941年までの19年間のほとんどの間、同クラブの会長を務め、1929年には会員1,000余名のシンガポール福建会館の主席となった。 また1923年9月には日刊新聞『「南洋商報(中国語版)」』を創刊している。 この間、英国政庁は海峡植民地における華人の政治活動を厳格に取り締まっており、陳は政治的には無党無派の立場を貫いて英国政庁の方針に対し協力的な立場をとっていた。 1928年-29年、日本軍の山東出兵に際して同地の戦災難民救済のため募金を行い、134万シンガポール・ドルを寄付したが、南洋共産党の政治活動とは一線を画していた。 1931年に満州事変が勃発し、シンガポール中華総商会(英語版)とマラヤ共産党が日貨排斥運動を展開した際には、陳は運動への積極的な参加を避けた。
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