心の会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 00:19 UTC 版)
「宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件」の記事における「心の会」の解説
1939年(昭和14年)6月、北大内にて心の会(ソシエテ・ド・クール)が発足した。これは外国人教師や学生たちが外国語を使って議論し、交流するサークルで、主に参加者の家を会場として、週に1回ほど集会が開かれた。レーン夫妻は会の発足時から参加しており、海外旅行と語学を好む宮澤も加わった。またレーン夫妻は、金曜日の夜になると官舎を学生に開放して交流を図っており、宮澤はそちらにも積極的に顔を出していた。 しかし排外主義が横行する時節柄、彼らの活動は当局から目をつけられており、心の会の集まりのさなかに特別高等警察(特高)が訪ねてくることもあった。レーン夫妻に対してはアメリカ本国からたびたび引き上げ勧告がなされており、また親しい日本人からも帰国を勧められていたが、北大との雇用契約期間がまだ残っていることと、同居している病身の父の容体が長旅に耐えられるほど芳しくないことを理由に、夫妻は札幌に残留していた。
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