御船蔵の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 17:02 UTC 版)
前述の通り、御船蔵の構造とは、大竹の菱垣で囲まれており、構内は松の木に覆われそのなかに大きく分けて二本の道があったと伝聞に残っている。その中に藁葺屋根の長屋を連ねた船蔵役場があり、中央付近に御船蔵御門(木門)が存在して、ここに船奉行(幕末の藩主・山内容堂のブレーンとして活躍した吉田東洋なども土佐藩の船奉行をつとめていた)が置かれ、その下に下役の証拠役、書記、船長、仕立方、小頭や仕入方など司々の部署が分かれて事務を執り、作事方という造船の船大工を監督する役宅も同地に置かれ、そのほかにも造船所の外に鍛冶場という錨を製造したり、麻縄で船綱を造る製造所も存在し、船具の用品は全て専門に分かれていたとされる。 なお、この地には、御廻船頭方の中城家、廻船問屋で有名な川島家が存在しており、中城家は、坂本龍馬の最後の帰郷の舞台、「隠れ屋」として知られており、他方で川島家は坂本龍馬の継母・川島伊興の実家に該当する家で、藩政時代には「下田屋」という屋号の御用商人として知られ、鉄材・木材などを扱う廻船業として著名であった。
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