後進指導の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 03:07 UTC 版)
1953年、後進の画家を指導する目的で「伊藤絵画研究所」を新築・開設した。また1956年には日展審査員に就任し、翌1957年愛知学院大学教授に就任している。 1962年、51歳時にフランスのパリおよびオランダへ渡欧、2か国に滞在し制作を行った。このときパリでパブロ・ピカソの画商であり評論家でもあるダニエル=ヘンリー・カーンワイラーと知り合いパリ滞在を勧められたものの、伊藤は断って帰国している。このときの渡欧経験で培われた技術は伊藤の画風を変化させ、以後色彩豊かな柔らかい描線、女性の肌の美しさをあらわした裸婦やバラなどを描いた。
※この「後進指導の開始」の解説は、「伊藤清永」の解説の一部です。
「後進指導の開始」を含む「伊藤清永」の記事については、「伊藤清永」の概要を参照ください。
- 後進指導の開始のページへのリンク