律令制時代の日本とは? わかりやすく解説

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律令制時代の日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:41 UTC 版)

「島」の記事における「律令制時代の日本」の解説

日本では律令制時代8世紀から9世紀にかけて、国(令制国)と同格行政機関として「島(嶋)」が置かれていた。長を「島司」、役所を「島府」と言い国分寺相当する島分寺」が建立された。島司国司相当する官職であり、中央から派遣され官吏である。 701年制定大宝律令では、壹伎島・対馬島・多褹島の3島が置かれていた(いずれも西海道)。このうち多褹島は824年廃止され大隅国併合された。また、876年には肥前国から五島列島平戸島分割され値嘉島ちかのしま)が新設されたが、10世紀初頭までには廃止された。壱岐・対馬は「国」に改められたが、この2国を他の令制国中国風に「州」とも呼んだ)と区別し「島」と呼ぶ慣習残った西海道九州二島称されたり、日本全土六十六州二島称されたりしたのは、このためである。

※この「律令制時代の日本」の解説は、「島」の解説の一部です。
「律令制時代の日本」を含む「島」の記事については、「島」の概要を参照ください。

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