彼は生きていた
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 09:38 UTC 版)
「サイラス・シモンズ」の記事における「彼は生きていた」の解説
野球選手を引退した後、シモンズ自身が自分の経歴について多くを語らなかったこともあり、彼が100歳を過ぎて存命していることは野球史研究家の間でも長い間知られていなかった。2005年秋になって、ニューイングランドの歴史家デヴィッド・アレン・ランバートの手により、シモンズがなおフロリダ州セントピーターズバーグの療養所で健在であったことが判明したが、療養所で彼の介護をしていた担当者でさえ、シモンズのことを『小さなカラーテレビで、タンパベイ・デビルレイズの試合をずっと熱心に見ている野球好きのおじいちゃん』程度にしか思っていなかったという。 発見後、テキサスのニグロリーグ研究家のレイトン・リーヴェルがシモンズにインタビューを行った。シモンズは名選手たちと野球をやっていた当時のことを楽しそうに語ったという。リーヴェルは2006年にシモンズの111歳の誕生日を祝う催しを盛大に行い、かつてのニグロリーガー約40名を含む、およそ300人がお祝いに訪れた。タンパベイ・デビルレイズは背中にシモンズの名前と『背番号111』が縫い付けられたジャージを、また現地のメーカーは、シモンズが野球を始めた1913年当時のホームステッド・グレイズの復刻ユニフォームをシモンズに贈呈した。アメリカ野球殿堂入りした名選手のモンテ・アーヴィンは、自らの体調の悪さから訪問は実現できなかったものの、「彼の存在が世間に知られるようになったことがとても嬉しい」というコメントを残した。 110歳を過ぎてから脚光を浴びてそれまでの静かな人生が一変したからか、シモンズは急速に体調を崩し始める。死の前日、シモンズは介護担当者に「満ち足りた人生だった。私は疲れた、もうすぐ(天国に)行くよ」と話したという。10月29日午前11時45分、サイラス・シモンズは「111歳15日」の生涯を終えた。
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