彼の運動について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/24 05:56 UTC 版)
熊本の細川家の細川護貞は京都帝大の学生時代に松浦の辻説法を目撃している。松浦は半白髪で、木綿着でモンペ姿でどこか村夫子然としてその説く所は禁酒、廃娼の訴え、玄米食、粗食の訴えであった。動員された孫娘が野菜を配った。それは松浦が畑からもいできたものであった。 細川は漢学の教授を個人授業を受けていたが、その教授と松浦が細川邸であった印象を 『想い出の人々』に書いている。「その座の空気は気むづかしいものでなく、静かに話がはずんでいたように思う」と記している。 辻説法では松浦は興が乗ると歌にあわせて踊り出すこともあった。次の歌も作っている。お酒でこわしたこのからだ、どんな どんなお医者もなおしゃせぬ。つらい つらい。禁酒で固めたこのからだ どんな どんな 敵でもまけはせぬ 愉快 愉快。辻説法をする松浦の写真もある。
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