形原藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:15 UTC 版)
形原藩(かたのはらはん、かたはらはん)は、江戸時代初期に三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町)を拠点として存在していた藩[1]。発祥の地を知行していた大身旗本の形原松平家が、1618年に関東地方で加増を受けたために大名に列したものであるが、翌年には転封したために藩(大名領)として存続したのはごく短期間であった。
注釈
- ^ 宝飯郡形原・西浦・平地・戸金・一色・鹿島・拾石・竹谷・上ノ郷・柏原・荒井・萩の各村、および幡豆郡逆川村[4]。
- ^ 形原には3家が陣屋を置いたが、それぞれ別の地点であり、『蒲郡の諸城』などの文献では「形原陣屋」に記号を付して区別している[7]。形原松平家の陣屋は「形原陣屋C」(形原町東古城)、別名「稲生城」。跡地には古城稲荷神社が立つ[8]。
- ^ 東条・横須賀・八色の3か村[4]。
- ^ 慶長5年(1600年)生まれ。大坂夏の陣の際には家信が病気であったため、康信が陣代を務めている。
- ^ 『寛政譜』によれば元和3年(1617年)に鳥居忠政に附属され、家臣となったとされる[3]。
- ^ 「形原陣屋B」(形原町西御屋敷)[8]。
- ^ 2代目の松平清須が弟に上之郷村など700石を分知しており、この系統は『寛政譜』編纂時も存続している。
- ^ 「形原陣屋A」(形原町御獄)、別名「形原役所」[8][7]。
出典
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(345ページ)
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.120。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.121。
- ^ a b c d e f g h i j “形原藩(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2021年11月8日閲覧。
- ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.122。
- ^ a b c d e f “形原村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2021年11月8日閲覧。
- ^ a b 蒲郡市立図書館(回答). “明治期の宝飯地区において、以下の人物の概要が知りたい。巨勢大隅守利光、通称鎌吉”. レファレンス協同データベース. 2021年11月8日閲覧。
- ^ a b c “三河 形原陣屋”. 城郭写真記録. 2021年11月8日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.123。
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