形原松平家の復帰、立藩・廃藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:15 UTC 版)
「形原藩」の記事における「形原松平家の復帰、立藩・廃藩」の解説
関ケ原の合戦後の慶長6年(1601年)、家信は旧領である三河形原に5000石を与えられて五井から移転した。このときの家信の領地は、宝飯郡形原村など13か村であり、かつての形原城を陣屋とした。 元和4年(1618年)9月、家信は御留守居に就任するとともに、安房国長狭郡内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を立藩した。藩政は嫡男の康信と、城代の松平家房に委ねられていたという。 元和5年(1619年)9月、家信は摂津高槻藩2万石に加増移封された。これにより形原藩は廃藩となった。
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