庄地区初の路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:47 UTC 版)
庄地区の南部を東西に横断して、古くから岡山市と倉敷市間の交通の要となって来た旧・国道2号(現、岡山県道162号岡山倉敷線)が通っている関係で、旧・国鉄バスが岡山県内二番目の路線として、1937年(昭和12年)3月28日に岡山駅 ⇔ 倉敷駅間の19km区間で開業(通称、両備線)した。その後、それまでの倉敷駅止まりであった路線を、矢掛町路線・金光町路線などへと急速に拡大していった。また、1952年(昭和27年)1月からは、地元大手の民間会社である両備バスとの運輸協定により、両備バスが岡山~倉敷間の路線に乗り入れ、一日数便程度ながらも国鉄バスと共同のバス停を使うなど、通勤・通学の便利性は次第に向上していった。 この国鉄バスによる一連の路線拡大や、特に岡山〜倉敷間の輸送需要増大により、それまでの倉敷駅近くに設けられていた拠点車庫兼、岡山県内の総括店であった施設が手狭となり、新たに下庄地区東側に隣接する吉備町地区内の、旧・国道2号沿いの岡山市北区撫川(なつかわ)地に、大型の整備工場を含む広大な敷地に実質、岡山県内の総括的な中核機能となる「岡山自動車営業所」を1962年(昭和37年)12月29日に開設した。
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