庄司家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:59 UTC 版)
(鳥取県境港市渡町・【市】1.庄司家母屋・茶座敷及び庭園) 庄司姓については、渡村集落の中心部に「庄司名」の地字も残り、中世荘園との関連が推定されるが、現段階ではその起源を立証するものは見当たらない。もとは出雲の安来出身とする説もある。 庄司家は江戸後期の豪農の代表的な屋敷構えを残しており、地方の建築史上貴重な建物である。母屋は1832年(天保3年)に村の大火で類焼したが、翌年に再建され母屋と茶座敷が市の文化財に指定されている。又、庭園は県指定の名勝となった。 父・昇造 母・よし(島根県、宇山清左衛門の長女、23代田部長右衛門(元島根県知事)のおば) 1867年(慶応3年)12月生~没 弟・繁二郎 1890年(明治23年)10月生~没同妻・いちの(鳥取、山本亮姉) 1891年(明治24年)1月生~没 妻・清(島根県、実業家・政治家木村小左衛門(元農林大臣、内務大臣、国務大臣建設院総裁、地方自治庁長官)の妹) 1891年(明治24年)7月生~没 長男・保親(実業家) 1912年(明治45年)3月生~没同妻・昌子(島根県、実業家・政治家木佐徳之助(元平田市長)の長女) 長女・禮子(官僚若槻克彦の妻) 1915年(大正4年)11月生~同息子・治彦 二女・和子 1919年(大正8年)3月生~ 三男・健 1921年(大正10年)1月生~ 四男・國典 叔父久次郎は其子を伴い分家
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