広川への疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:18 UTC 版)
遺体の不自然さの他にも当局の疑念を深めたのは、現場から発見された小笛の遺書の1通であった。 (原文ママ)〔隣人〕サンニタノム、アルシナモノワ ヲテラニ、アゲテクダサイ、〔実子〕ニワ、ハシモヤラナイデクダサイ、ヒロカワサンカイイキテワソワマセンデ、フタリガシンデシマイマス、〔隣人〕サンニ大島一重トモンチリメントヲ三枚アゲマス、〔A〕ガカワイガ、マルタマチニ、コノコワワタシノタメニワナラナイト、イワレタノデ、ナンニモタノシミワナイ、ソイデヒロカワサント、フタリデシニマスコフエ、ジヨタロ(広川印)シヌユウテウソユウタライカヌヨ、〔A〕ワアナタガコロスノデスネワタクシワサキニシニマス〔A〕ヲタノム (現代仮名遣い文)〔隣人〕さんに頼む。有る品物は、お寺に、あげてください。〔実子〕には、箸もやらないでください。広川さんが生きては添わせませんで、二人が死んでしまいます。〔隣人〕さんに大島一重と木綿縮緬とを三枚あげます。〔A〕が可愛いが、丸太町に、この子は私のためにはならないと、言われたので、何にも楽しみはない。そいで広川さんと、二人で死にます。小笛、条太郎(広川印) 死ぬ言うて嘘言うたらいかぬよ。〔A〕は貴方が殺すのですね。私は先に死にます、〔A〕を頼む。 この遺書に捺された広川の印、そして「〔A〕は貴方が殺すのですね」との文言から、当局は広川が偽装心中の末に4人を殺害したとの見方をとった(加えて、現場のAの寝床には、広川の名刺も2枚散らばっていた)。 一方、小笛の愛人である広川の存在は、事件当日にはマスコミの知るところとなっていた。そして、神戸の自宅を直接取材に訪れた記者から小笛らの死を聞かされた広川は、すぐさま自宅を出て汽車で京都へ発った。この時、広川は車中で、上司や親族へ宛てて「小生の不德より終に二名の人命を縮め陳謝の辭なし」「從來の恩義深く謝す」といった内容の遺書を書くという行動に出ている。汽車は翌7月1日の深夜0時37分に京都駅へ着いたが、下車した広川は待ち構えていた刑事らにその場で拘束され、そのまま下鴨署へと連行された。
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