幼年学校生の犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 23:17 UTC 版)
この際、台湾へ帰省予定の陸軍幼年学校の生徒も乗船しており、うち東京陸軍幼年学校(東幼)からは10名中7名の行方不明者(事実上の死者)を出した。この他、広島陸軍幼年学校(広幼)から3名、熊本陸軍幼年学校(熊幼)から5名が乗船している。遭難後、東幼の生徒は歌を歌って周囲の乗客を励まし、救命ボートへの乗船も後へ譲ったまま行方不明になった、と生存者が証言している。生存した東幼生徒も救命活動に貢献し、特に生存した3名全員が銃剣を保持したままだった点は大日本帝国陸軍の台湾軍で高い評価を受けた。 1960年(昭和35年)になって、同期生が尽力した結果、東幼生7名を題材に『心の歌』として毎日放送テレビでドキュメンタリーが放映された。これをきっかけに、東幼、広幼、熊幼のOBの努力により、1976年(昭和41年)10月17日、靖国神社に合祀された。
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