幼少期の生活と家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 09:03 UTC 版)
「エルネスト・ガイゼル」の記事における「幼少期の生活と家族」の解説
エルネスト・ガイゼルはリオグランデ・ド・スル州のベント・ゴンサルベスで生まれた。父親は1883年に16歳でブラジル帝国に移住したヘルボルン出身のドイツ系ブラジル人教師、ギルヘルメ・アウグスト・ガイゼル(ドイツ名ヴィルヘルム・アウグスト・ガイゼル)。母親は主婦のリディア・ベックマン(Lydia Beckmann)で、オスナブリュック出身のドイツ人両親のもと、ブラジルのチュートーニア(Teutônia)で生まれた。 エルネストが育ったベント・ゴンサルベスでは、人口の大部分がイタリアからの移民で構成されているのに対し、ドイツ系の家族はガイゼルとドレヘル(ドレハー)の2家だけであった。 ガイゼルは幼少期の地元イタリア移民との触れ合いを回想しながら、ドイツ系の両親が課した厳格な教育と、彼が尊敬していたイタリア系の友人たちの自由でリラックスした生き方との間にある文化的な対比について述べている。 ガイゼルはルーテル派の家庭で育ち(ブラジル福音ルーテル教会に属し、祖父は牧師であった)、下位中産階級家庭の出身であると主張していた。ガイゼルは教師になるほどポルトガル語が得意だった父親が、子供たちに外国訛りのポルトガル語を話させたくなかったため、家庭ではドイツ語とポルトガル語を話していた。成人後のガイゼルはドイツ語を理解できるものの、書く事はできず、話す事も多少の困難があると述べた。 エルネスト・ガイゼルは1940年に陸軍大佐の娘ルーシー・マルクスと結婚した。2人の間には娘のアマリア・ルーシー(後に大学教授となる)と息子のオルランドがいたが、1957年に列車事故で死亡したため、ガイゼルは衝撃から完全には回復しなかった。彼の未亡人は2000年3月に自動車事故で亡くなっている。
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