平野の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 16:20 UTC 版)
筑紫平野の大部分と同様、佐賀平野も河川の運搬によって土砂が堆積して拡大してきた沖積平野である。筑後川と同水系の諸河川をはじめとして、嘉瀬川、六角川、塩田川など(以上東から順に並ぶ)多数の河川が並ぶ。堆積量は東へ行くほど多く、筑後川がもっとも多くなる。また、江戸時代以降には海岸で干拓が行われ、さらに陸地が拡大した。明治から昭和中期までは行政が中心となった大規模な干拓事業も行われた。有明海沿岸の地域には「搦」や「拓」といった干拓特有の地名が多く見られる。 2000年前(縄文時代)は現在長崎自動車道が通っているあたり、400年前(江戸時代)は、現在JR長崎本線が通っているところあたりが海岸線であった(神埼市より東ではさらに南にあった)と推定されている。その後の自然陸化や干拓によって陸地が広がったため、地盤が軟弱であった。
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