市街地という意味への転化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:23 UTC 版)
「町」に市街の意味が付き始めるのは古代も末、平安時代末期まで下る。『類聚名義抄』では「店家俗に町と云う」、『和名抄』にも「店、坐売舎(ざうりのや)也」と記されその注に「今俗に町と云う、この類なり」とあり、この頃から「町」の意味が40丈(約120m)四方の区画から商店街の意味を有するようになった。 官衙町から発した通り「町通」は、町口・町口小路と呼ばれていたのが略されて12世紀半ばには「町」と呼ばれた。『続本朝往生伝』には「左衛門町は潤屋の地なり、店家屋を比べ百物自ら備る」と本来の市であった東市を上回る盛況振りが言及されている。ここを通る「町通」(現在の京都市の新町通)は三条・四条・七条の交点付近に一大商業地を形成していた。 鎌倉時代には「町人」「町屋」という言葉が登場し、鎌倉でも地方でも都会的な場を町と呼ぶことが定着する。 1595年の『羅葡日辞書』には「Vicinus <略>リンカニ イル モノ、ヲナジ chŏni(チャウニ) スム モノ」とある。
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