市街地の減少と町の消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 17:22 UTC 版)
「アンフィポリス」の記事における「市街地の減少と町の消滅」の解説
6世紀末にはスラヴ人が侵略し始め、アンフィポリスの住民の生活を脅かすようになった。住民はアクロポリスの外には居住しなくなり、城壁はある程度修復された。7世紀中ごろには、町を要塞化する必要から、さらに市街地が減少し、五角形の塔を持つ城壁が建造された。この時、アクロポリスや公衆浴場、バシリカなどの上に城壁が建設されることとなった。 アンフィポリスの町は、787年の主教が最後であることから、8世紀頃に放棄されたと思われる。おそらくアンフィポリスの住民は、古代のエイオンの近くに建設された港町で、東ローマ帝国時代に要塞化されたフリソポリスに移住したと思われる。フリソポリスはオスマン帝国時代に放棄されるまでは、ある程度繁栄した町であった。アンフィポリスの地域が最後に歴史に登場するのは1367年であり、アトス山のパントクラトル修道院を守るために、防御塔が建設された時である。
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