市民ランナーとして
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大学卒業後は、陸上競技の実業団には進まず、当時陸上部のなかった埼玉県庁に入庁。2009年4月、埼玉県立春日部高等学校定時制に埼玉県職員(埼玉県教育局主事)として勤務する傍ら練習を続け、「市民ランナー」として大会に参加。2010年1月10日の第11回谷川真理ハーフマラソンでは1時間6分49秒で優勝。東京マラソン2010では優勝した藤原正和と17秒差の2時間12分36秒で4位に入った。埼玉陸上競技協会所属として出場していた(後に川内の活躍を受ける形で、埼玉県庁走友会が陸協登録をし、2019年3月まで埼玉県庁に所属していた)。 2011年1月23日には、第16回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に埼玉代表で7区・アンカーで出場(区間41位・総合37位)。2011年2月6日の第65回香川丸亀国際ハーフマラソンでは当時ハーフマラソンの自己ベスト記録をマークし9位。
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