巨費かけ朝霞コース開場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:06 UTC 版)
「東京ゴルフ倶楽部」の記事における「巨費かけ朝霞コース開場」の解説
日本のゴルフコースは、この頃まで、素人設計のコースだったため、常に改造が繰り返され、そのたびに経費が掛かっていた。それを打開するため、「朝霞コース」着工にあたっては、初期に費用がかさんでも外国のコース設計家に依頼を試みようとした。大谷光明はイギリスで名設計家として定評のあったハリー・コルトを推薦したが、当時68歳の高齢であり、代わってチャールズ・ヒュー・アリソンが来日した。クラブハウスの設計はアントニン・レーモンドが行った。 移転費用は、土地買収費100万円、コース造成費10万円、クラブハウス他建設費10万円の、総額120万円であった(同時期に開場した埼玉県川越市にある霞ヶ関カンツリー倶楽部は総費用12万円であった)。 倶楽部は1932年(昭和7年)5月に移転を完了させた。同コースでは第8回日本オープンゴルフ選手権競技大会(1935年(昭和10年))、第13回日本オープンゴルフ選手権競技大会の開催実績がある。1941年(昭和16年)閉鎖。
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