巨人10年目(最終年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:45 UTC 版)
2002年は開幕前、巨人がビジター用ユニフォームの胸ロゴを「TOKYO」から「YOMIURI」に変更したことについて、「なぜ巨人の伝統を大事にしないのかなぁ」と松井がコメントしたとスポーツ報知が報じ、オーナーの渡邉恒雄が激怒するという騒動があった。記事を執筆した記者の広岡勲(後の松井の専属広報)が巨人担当を外れることで事態は収拾した。 「日本一」「三冠王」の2つを目標に掲げて10年目のシーズンをスタート。開幕後間もない4月13日にFA権を取得。 7月9日に黒田博樹から通算300号本塁打を放つ。28歳0か月での到達は王貞治の27歳3か月に次ぐ史上2番目の年少記録であり、1200試合目での達成は史上6番目の速さであった。 また、8月1日には4番打者としての連続出場を363試合に伸ばし、石井浩郎の記録を抜き当時の単独1位(後に、金本知憲が更新)となった。
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