巨人3年目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:45 UTC 版)
1995年には22本塁打を放ち、初のベストナインを受賞。 8月24日の横浜ベイスターズ戦でレギュラーシーズンでは初の4番を任された。 ヤクルトが最高勝率・マジック1で迎えた9月30日に明治神宮野球場で行われた試合では9回裏二死で打席に立ち、その年の最優秀バッテリー賞を受賞するテリー・ブロス及び古田敦也にセンターフライに仕留められた。 この年のオフには、苦手な内角球を克服するために、身体に当たりそうな極端な内角球を打つ練習を行った。その甲斐あって、翌年から成績が飛躍的に向上することになる。後に、松井はこのシーズンオフが野球人生のターニングポイントだったと回想している。
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