川崎フロンターレ時代
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Jリーグ復帰を受け、日本代表の岡田武史監督より2010年の1月25日から行われた代表合宿に追加招集され、また東アジア選手権にも出場した。2010年5月には南アフリカW杯の日本代表メンバーに選出された。稲本にとっては3度目のW杯出場となった。本大会ではグループリーグでのカメルーン戦とデンマーク戦に途中出場した。 2012年のシーズン途中に風間八宏が監督に就任してから、ボールポゼッションを重視する同監督の戦術もあり、本職のボランチ以外にもセンターバックとして起用された(4月28日J1第8節広島戦)。公式戦起用はこの1試合のみで、その後はボランチに戻ったが、2014年より本格的にセンターバックに挑戦することになり、ポジションも正式にDF登録となった。12月4日に契約満了が発表された。
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川崎フロンターレ時代
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「チャナティップ・ソングラシン」の記事における「川崎フロンターレ時代」の解説
2022年1月11日、約4億6500万円(1億3400万バーツ)という国内クラブ同士による史上最高額の移籍金で川崎フロンターレへの完全移籍が発表された。
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