島田紳助との関係
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ギャラ値上げを主張した若かりし頃の島田紳助に対し、おもむろに上着を脱いで「とりあえずかかって来んかい!俺に勝ったら上げたる!」と述べた。2004年10月に事件を起こしていた紳助のことを気にかけており、中田カウスに看取られ逝去した今わの際に紳助の名を呼んだと明石家さんまが「うまッチ!」で共演した際に証言している。
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島田紳助との関係
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島田紳助から心の師として尊敬されている。若手時代、紳助・竜介の漫才を見て紳助を食事に誘い、「君はどんな漫才がしたい?」との問いに、紳助は「今までになかった漫才がやりたいんです」と答えた。その言葉に上岡は「よし! じゃあ僕が今から今までの漫才のパターン全部教えてやるから、これからそれやったらあかんぞ」と答えたという。その結果、紳助竜介はリーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」という今までにないスタイルを確立させ、主に若い男性から支持を得た。以降、2人は師弟のような関係を築いていく。紳助竜介が新進漫才師の時代に映画『ガキ帝国』で共演し、その後にも2人は『EXテレビ』や『クイズ!当たって25%』などの紳助司会の番組で共演することが多かった。 紳助は上岡引退の際、「芸能界での道標を失ってしまう。引退を考え直してほしい」という内容の手紙を送ったが、上岡は「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ」という内容の手紙を送った。この手紙を読んだ紳助は涙が止まらなかったという。 紳助が2004年に暴力事件を起こして謹慎中だった際、真っ先に相談したのも上岡だった。紳助の「僕はこれからどうすればいいのでしょう」との言葉に「悪いと反省しているなら誠心誠意相手の女性に謝れ。でも自分から『引退する』などとは絶対に言うな。周りのスタッフのことを考えろ」と、引退を決めようとしていた紳助を諭した。2011年になって、紳助は『THE MANZAI 2011』で大会審査委員長を務めた際に、このことを語っている。 2011年8月、紳助は自身の不祥事で芸能界を引退することになったが、インタビューで「上岡さんと一緒の55歳で引退したのは何かの縁でしょうかね」と語った。しかし、上岡が引退したのは58歳の時であり、これは紳助の勘違いであった(上岡のテレビの事実上引退は55歳)。
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