島村干雄とは? わかりやすく解説

島村干雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 17:32 UTC 版)

島村干雄

島村 干雄(しまむら たてお、1856年7月2日安政3年6月1日) - 1910年11月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

履歴

1856年(安政3年)、土佐国土佐郡久万村(現在の高知市)に島村重吉の次男として生まれる。1873年(明治6年)上京し陸軍幼年学校に入学するが、放縦の故退学になる。1874年(明治7年)3月、熊本に行き谷干城の兵士になる。佐賀の乱台湾征伐で武功をあげ、1877年(明治10年)6月、歩兵少尉に任官。1879年(明治12年)から1882年(明治15年)までと、1884年(明治17年)から翌年、渡し諜報任務に従う。

1896年(明治29年)9月、歩兵第33連隊長に就任。1899年(明治32年)3月、歩兵大佐に昇進し、同年8月、第3師団参謀長となる。1904年(明治37年)8月、陸軍少将に進み歩兵第12旅団長として日露戦争に出征。第1軍に属し遼陽会戦以降に各地を転戦した。

1907年(明治40年)7月、歩兵第4旅団長(弘前)となり、次いで、歩兵第24旅団長(久留米)に異動。1910年(明治43年)11月9日に55歳で没し、同日、陸軍中将に昇進した。

栄典・授章・授賞

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

  1. ^ 『官報』第711号「叙任」1885年11月12日。
  2. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  3. ^ 『官報』第3818号「叙任及辞令」1896年3月25日。
  4. ^ 『官報』第4764号「叙任及辞令」1899年5月22日。
  5. ^ 『官報』第6295号「叙任及辞令」1904年6月25日。
  6. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  7. ^ 『官報』第8217号「叙任及辞令」1910年11月10日。
  8. ^ 『官報』第906号「賞勲叙任」1886年7月9日。
  9. ^ 『官報』第3273号「叙任及辞令」1894年5月30日。
  10. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。p4
  11. ^ 『官報』第3794号「叙任及辞令」1896年2月25日。
  12. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  13. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  14. ^ 『官報』第7358号「叙任及辞令」1908年1月9日。

参考文献

  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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