峯空園
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1973年(昭和48年)春、かつて峯山海軍航空隊で苦楽を共にした戦友達が28年振りの再会と互いの無事を喜びあい、記念すべきものを残そうではないかという意見が持ち上がった。跡地にある丹後織物工業組合中央加工場と連絡を取り、その一画に記念の公園を作ることになった。元隊員達から募金を募り、1977年(昭和52年)に中央加工場の西側に公園を造成し、「峯空園」と名付けた。同年4月17日には地元住民のほか大宮町長や各地区役員らも参列し、公園完成の記念式典が開催され、かつての隊員による軽飛行機2機からの花束投下や自衛隊音楽隊による演奏が披露された。記念碑には当時河辺飛行場にあったマンホールの蓋と、以下の文を刻んだ銘板がはめこまれた。 太平洋戦争中 峯山海軍航空隊 飛行場ここにあり 生命を課する飛行作業をはじめ隊生活のなかに 青春のありかを求めた 多くの若者達によって 幾たびも幾たびも 踏まれたマンホール 忘却の彼方に 時代は移りゆくとも 哀しき戦いの証人として いついつまでも桜の園に 平和の希いをこめて 久遠の足音を響かせん 峯空園には、約130本のソメイヨシノが植えられており、満開時には「桜まつり」が開かれている。
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